横浜地方裁判所が出した判決は、障害者権利条約からすると次の2点において受け入れがたい。
(1)障害者への侮辱
1審判決では、「原告Aは、一般的な発話による意思表示に困難を抱えており、その理解力・表現力・表出力は、平仮名・数字等を的確に理解し、これを表現・表出し得る程度に至っているものとは認め難い」とした。これは能力主義の発想で、健常者至上主義が露骨に現れている。意思表示が困難な場合、普通学級でいてはならないだろうか。学校は、コミュニケーションを伸ばして子どもが成長する場所であり,はじめはみんなコミュニケーションに困難性がある。そもそも「困難」は、コミュニケーションの受け手、つまり和希くんと十分に関わっていない健常者が困難という意味だろう。人間である以上、意思は誰でも持っており、それを表現しようとする。受け取れないのは、表現方法に受け手が気づかないだけである。表現方法と外界との溝を埋めるのが、普通学級での合理的配慮と自立活動だ。
この判決は差別的だ。
(2)和希くんの合理的配慮と教育的ニーズに関する検討の欠落
1審判決は、和希くんがどうしたら普通学級で学習できるか、どんなことが普通学級で出来ないかという検討が一切無かった。司法は教育の専門ではない。しかし事件が教育に関するものである以上、教育の具体的検討が不可欠である。極めて血が通っていない判決だ。